のと鉄道復興支援企画
のと鉄道で運転士として働く山際くんはぼくの中高時代の部活の後輩です 。
ブラスバンド部の同じサックスパートで苦楽を共にした旧知の仲
卒業後彼は鉄道好きが高じ能登に移住して鉄道運転士になり
ぼくは音楽好きが高じて今に至ります
ぼくがPE’Zとしてデビューしてからは、金沢でライブがあるたびに足を運んでくれたし
ファンイベントでは貸切列車を出してもらい車内ライブをやったこともあります。
バンド解散後はいち早く能登でのソロライブの企画を立ち上げてくれて
集客まで尽力してくれたり、、
またコロナで思うように音楽活動出来なかった頃~なかなか活動再開のペースが掴めない中でも、
地道にライブ配信を見届けてくれたり、
珈琲を買ってくれたりと拙いぼくの今までの活動全てを
黙って後押しし続けてくれた大切な友人です。
そんな一家が住む奥能登が正月早々に震災に見舞われ、
そこからしばらくの間いつもより頻繁に連絡を取り合ってきました。
幸い一家全員無事で家も生活ができる程の被害で済んだと聞いて安心はしたものの、
大学受験を控えた年頃の娘さんが
満足に風呂にも入れず連日受験勉強をしていると聞いて、
何かできることはないものか?と
ずっとモヤモヤしたものを抱えながら過ぎる時間。
しかし今は緊急度の高い支援をその道のプロに任せ、
復旧が進み往来に問題が無くなった頃にこそ
自分に出来ることをしようと思い直して過ごごすことに。
2月に入りようやく荷物を受け取れる状況になったと聞いて、
一息ついて楽しんでもらえそうなものを見繕い送りました。
加藤登紀子さんの『時には昔の話を』がずっと頭の中で鳴っていて
個人的に進めていたその録りおろし音源を同封したのですが、
図らずしてそれは山際一家にとっても
昔からの思い出が詰まった特別な曲とのことで、、
その後一家からお礼の手紙と一緒に
のと鉄道の素晴らしい景色を絵葉書にした湯浅啓さんの写真が多数届き、
3月末には娘さんの合格も決まってぼくの仕事場にも遊びに来てもらいました。
4月頭にはのと鉄道全区間で運転再開の目処が立ったとその時聞いて、
いよいよ何かをすべき時が来たなと。
そんな経緯を踏まえ皆さまにご提案があります。
今後の”のと鉄道復興”のために支援金を募り
その返礼としてご参加いただいた方へ
湯浅啓さんの絵葉書と『時には昔の話を』のDL音源のお届け
集めたお金は全額のと鉄道へ寄付する
という企画はいかがでしょうか?
能登の素晴らしい景色を少しでも多くの方に知っていただく事と
音楽を通して繋がってきた想いを共有しのと鉄道に還元できれば、、と考えてのご提案です。
ただ、このような企画を考えている間にも四国でもまた大きな地震が起きたり、
過去の震災でもいまだに避難生活を強いられている方々が
各地に大勢いらっしゃることを思うと、
こうした活動の提案が正しいのかどうか、いかほどの意味や効果があるのか、、
何度も止めようかと悩んだのですが、
冒頭にご紹介したようにこれはぼく個人をずっと支えてくれた人への
そしてお世話になったのと鉄道への
個人的な感謝の気持ちとして発信させていただくことにしました。
現地のインフラが徐々に元に戻りつつある中で、
これで安心と関心を手放してしまうのではなく、
今こそ現地への関心を高めていく事が、
特別な力がなくても出来る必要な支援なのではないかと
ぼく自身は思っています。
もしこれを読んでいただいた皆さまにも何か共鳴、共感していただけるところがありましたら
それぞれご無理のない範囲でお力添えいただければ嬉しく思います。
先日の久々の再会にて『またお座敷列車走らせてライブ出来る日が来たら良いね』
と二人で妄想した未来が、いつか現実に繋がりますように。
2024.5.31
門田”JAW”晃介